2005年04月30日

淡海の夢2005 仰木・春の棚田写生会 1日目【 4月29日(金)】

今日の仰木は、やや風が強かったのですが、晴れて暖かく、とても気持ちのいい1日でした。
3年目となる「淡海の夢」企画。その第一弾が「仰木・春の棚田写生会」です。
今年は田おこしの季節に雨が多く、トラクターが泥にとられて苦労をされたそうです。本来雨が降ってほしい(例年雨が降る)今くらいの時期に雨がなく、田に水を張るのも例年より遅れていて、3分の2くらいが田おこしのままでした。棚田が水の国となる時期は短そうです。

馬蹄形.jpg

参加者は、本学イラストレーションクラスの学生がが多かったのですが、日本画クラスやテキスタイルアートクラス学生ほか、市立京都芸術大学や精華大学の学生、近江兄弟社高校の美術の先生、園田学園女子大学の先生など、一般の方も10名くらいご参加いただき、総勢50名ほどで仰木の春を満喫しました。

棚田.jpg仰木の農家の方にとっては、田植え前の忙しい時期。さぞ、ご迷惑だったのではないかという心配もあります。が、他では得難い貴重な環境空間で1日を過ごさせていただいたことで、私たちの中にたくさんの新しい息吹が吹き込まれたような気がします。また、私たち一人ひとりの感性で表現した1点1点の作品は、見る人を惹きつけることでしょう。作者が感じた仰木の素晴らしさ、豊かな自然や造形的な美しさが見る人を共感させます。「こんなきれいなところがあるんですね。」 絵を見た人が「行ってみよう」と思い、自分の目で仰木の素晴らしさを実感する。そんな連鎖が、一つのムーブメントを起こす可能性があります。19世紀末から20世紀のパリの裏町を、独特の感性で詩情豊かに描いたユトリロや佐伯雄三。本当に何気ない裏町の一角が「絵になる風景」として見いだされ、パリの味わいの一つとなりました。また、同時期の写真家アッジェが撮ったパリの街角の写真に、えもいわれぬ魅力を感じます。実際の風景や街の美しさに気づかせ、皆が愛する美しさを維持したり、より美しいと感じるように変えていくことも、絵や写真の持つ力です。私たちが「描く」意義がそこにあります。パリの裏町とは違い、そこに行けば誰もが素晴らしいと感じる仰木の風景。私たちは、自分が感じるままに描いていきましょう。長い年月、この棚田を守り育ててこられた仰木の方々にも必ず喜んでいただけます。
新聞社の取材もありました。産経新聞と毎日新聞の記者さんやカメラマンさんが来られ、インタビューを受けた学生もいます。私も取材を受け、成安造形大学と仰木・里山との関わりについて話をしました。空を映す.jpg
成安造形大学と仰木・里山との関わりは、2000年に遡ります。2001年に写真家 今森光彦先生と本学イラストレーションクラス教授 井上直久との対談。そして2002年、お二人による仰木でのワークショップが「淡海の夢企画」の萌芽と言えます。
詳しくは成安造形大学サイト http://www.seian.ac.jp/indexpc.html のイベントアーカイブ、大学主催のページをご覧ください。
その中に、「『里山を理解すること』から一歩踏み込んで、『里山から創造すること』にチャレンジします。」という一文があります。

ハ生.jpg「淡海の夢企画」が目指すモノも、そうしたことだと考えています。私たちはまだ「里山を理解する」ことの入口で、自然の豊かさを身近に感じられる美しい空間に出会って、はしゃいでいるだけかもしれません。人の手が加わって、はじめて絶妙なバランスを保っている里山空間。その労力が並大抵でないことは、そこで生活し、たゆまぬ生産活動を続けてこられた仰木の方にしか分からないことだと畔づくり.jpg思います。夕方、比叡の山並みに日が沈んだ薄明の中で、クワを使って田んぼの畔づくりを根気よく続けておられる姿は、生産活動と直結した仰木の方々の生活そのものです。消費活動のウェイトが重視されがちな社会情勢の中、大地と結びついた生産の姿がそこにあり、ARTという創造的活動を生業にしようという私たちがここにいて、共に「創造する」モノを真摯に模索すべき時でははないかと思います。
「淡海の夢企画」は、まだほとんど仰木の皆さまとの関係を築いていません。今後の大きな課題です。

尼崎の電車脱線事故は、私の中では震災の記憶と重なり心が痛くなり、とてもつらい出来事です。今日、一人の参加者が「最近ずっと落ち込んでいたけれど、ここに来て少し心が軽くなった気がします。」と話してくれました。「あの電車に多くの知り合いや友人が乗っていた。亡くなった友人もいる。」と言葉少なに話をしてくれました。

仰木特有のいにしえから幾世代も伝えられてきた文化や伝統と生活。それらに対して、仰木の方々の「誇り」を感じます。祭も農作業もしっかりした横の絆がなくては成り立たないのだろうと考えます。横の絆を強く維持するためには、縦の絆が揺るぎないモノである必要があり、縦社会の悩みもきっとたくさん生じているのだと思います。しかし、地域の絆が文化や伝統、生活を支え、「誇り」に明確な形を与えています。そして、そのことと棚田は切り離して考えられない気がしてなりません。仰木の棚田・里山は、ここを訪れる人の心にとって得難い貴重な環境です。それと同じくらい、仰木の方にとって生産基盤であると同時に仰木にしかない「誇り」を支えているのではないか、そんな気がしてなりません。棚田の後継者がいなければ、無くならざるをえません。圃場整備をした場合も、今の仰木であり続けることは難しくなるのではないかと危惧します。どちらが仰木の方々のしあわせかは、私には判断できません。が、棚田を含めて丸ごと維持できる方法を、探し続けたい気持ちはあります。その為に必要なのは、行政なのか、民間なのか、成安造形大学なのか。たぶん、その全てが同じ方向で動かなければ、実現することは難しいのでしょう。
先駆者である、今森光彦先生の「里山塾」は、5月7日(土)に仰木でスタートするそうです。 http://www.imamori-world.jp/

講評.jpg3:30、三々五々作品を持って棚田桜に集合。鑑賞会です。
井上直久先生と永江が、5点ずつくらい交互にアドバイスをさせていただきました。
人の数だけ作品世界があり、楽しめました。レベルも高かったと思います。8割まではできているという人で明日来られない人もあり、もったいないなー と思いました。完成まで、現場で描き上げることの意味は大きいです。時間を作って、完成までがんばってほしいです。

長くなりましたね。
では、また明日。
posted by 永江弘之 at 00:11| Comment(1) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 29日に私が描いていた場所の横で、田おこしをしていらしたご老人に
「今年は水を張るのが遅いんですね」と声をかけると、
「百姓してないもんはわからんだろうが、雨が少ないんよ今年ゃぁ」との返事。
今年の雨のことからはじまり、昔の農作業のこと、サルやシシの被害のこと・・・いろいろと語って下さいました。

 私は、特に都会っ子という訳でもありませんでしたが、成安に来て、棚田に足を運ぶようになるまでは、「圃場整備(ほじょうせいび)」という言葉を知りませんでした。
 要は不定形なカタチをした田んぼを、ブルドーザーなどの重機で四角いカタチに改造すること。
われわれ絵を描く立場からすれば、「そんな無茶な!」と思うのですが・・・・

 仰木でもほとんどの農家は兼業。月金は会社などで働いて、土日に田んぼの世話をしなければいけない。若い労働力(後継者)のいない棚田では高齢になっても耕作せざる負えない事情や、作付け面積を増やして収穫量を上げないといけない事情がある。圃場整備をすれば、今は点在する自分の田んぼを一ケ所にまとめることも出来る。
 ご老人は、ご自分の棚田の美しさと、そこで採れる旨い米をとても誇りに思いながら、圃場整備をすれば米の味が変わってしまうであろうことも心配しながら・・・
それでも圃場整備を20年間待ち望んでいました。生活を守るための選択である訳です。

 生活があっての里山であり、自然と共存しながら造り上げられた情景でありながら、その生活自体が圃場整備を必要としている。
 獣の被害が出ていて、ヤマとの境に電線を張り電流を流してサルたちから耕地を守っているのも、「昔はヤマで薪なんかを採ってたから、アイツらも比叡から降りて来んかった」。 これも生活の変容が生んだヒトと自然(サルたち)との付きあい方。

 ご老人に話を聞きながら、とても複雑な思いがしました。

Posted by 田中真一郎 at 2005年05月03日 01:03
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